2019年05月23日

前回ブログ項目11)の続編

 被控訴人らは法の専門家であり、一方、福田市長も行政の長と言う同じく法の運用に厳格さが求められる立場にも関わらず、蓋然性や可能性といった法に定めの無い文言を頻繁に使用する様子は、自然法論と、法実定主義の区別が不能であるか、あるいは都合の良い所取りで法を濫用する者達であると控訴人は主張する。
 上記の『良い所取りで法を濫用する者達』について、一般的な例をあげて説明すれば以下のようになる。
 人をだまして金銭・理財を得る事は社会的に不当であり、行わないのが当たり前である、つまり社会運営上当然の基礎、道徳、モラルであるから、その禁止は『明文化されておらず』一方で、人を騙して金銭・理財を獲得する行為を敢えて行った者の行動は、社会を破壊する犯罪行為であるので、これを罰するための詐欺罪が定められているのであり、以上は自然法的な法律解釈として妥当であろう。

 続いて自然法と法実定主義成立の歴史的経緯について、つまり自然法に対抗する理論として法実定主義が出現した経緯を観察すれば、自然法は次に述べるような不完全さも内包していており、その結果が法実定主義の台頭を招いたのは明白である。
 その不完全さとは、一般的な社会生活を営む者にとっての当たり前という概念は、時として個人による感覚的な違いや、無意識の解釈において差異が生じるのであり、結果、誤用される事態や、差異を悪用する者も存在し得るのである。そしてこの、差異による誤用や悪用、さらには左記によって、惹起・扇動された、民衆の残虐行為等を防止するために、法に定める必要性、つまり、原審の準備書面で控訴人が述べた魔女狩りのような事態を防止する手段の一つとして法実定主義が自然発生したのである。この事は魔女裁判による犠牲者の存在や、直近の具体例である、控訴人の桜本地区以外で行われた、適法デモが不法妨害行為と暴力行為によって中止となった事で明らかである。
 ところが、被控訴人らの態様を観察すると、同人らは同解消法や、詐欺罪に『レッテル貼や印象操作その他によって利害関係者や第三者を騙してはならない』との条文が無い事を利用して、つまり、上述したように、『当たり前故に』条文化されない事案を悪用して不法訴訟手続き行い、さらに、条文化されていない文言で人を騙す行為を、法の専門家たる【弁護士が行う筈が無い】、という、自然法に基づく【社会的『信義則』を隠れ蓑】にして法の悪用をおこなったのである。

 片や、福田市長は、法に定めのない、『ヘイト、蓋然性』の文言もって控訴人のみならず一般の国民の言論活動の場を奪うという権利侵害を行っているのであるから、左記の両者の態様は、実法定主義にも、真っ向から対立するものでもある。
 そして我が国においては、以上のような一定勢力による同解消法の悪用のみならず、ヘイトやレイシズム、差別と言った曖昧な文言による、言論弾圧が被控訴人ら態様に象徴されるように常態化しており、これは控訴人が原審の準備書面の4頁で主張した『一部勢力による、自分達の意に沿わない、或いは自分達にとって都合の悪い言論を一方的に規制・弾劾する等の民主主義の破壊に繋がりかねない行為は、正に現代の魔女狩りと言える行為』(下線は本書で加筆。)を、弁護士が率先して行っている証拠なのである。

 上記を要約すれば下記のようになる。

 控訴人は印象操作のために原審準備書面において魔女狩りについての記述を行った訳ではなく、欧州(一部米国)における魔女狩りと、現在の日本においてヘイトやレイシシストを強調する者の態様が、法に定めの無い文言の使用、つまり、『あいつは魔女だ』『魔女に鉄槌を』と、『あいつはレイシストだ』『津アはヘイトデモ主催者だ』『ヘイトスピーチ許さない』の様な文言においては、【魔女】が【レイシスト・ヘイトデモ主催者】へ、【鉄槌】、が、【許さない】と言った文言に置換され、且つ、魔女とされた人々への【拷問や火あぶり】が適法デモの【暴力行為による中止】へと変化したに過ぎず、態様としては全く相似形であるが故に、準備書面に魔女狩りと記載したのである。

12)この項では項目8) のハ.の法の遡及適用について被控訴人らの実態を中心に述べ、もって、弁護士として有り得ない不法性を立証すると共に、弁護士と言う権威付によって、その他による不法行為の正当化で、さらなる言論弾圧を行っている様子についても述べる。
posted by 瑞穂尚武会 at 19:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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